日本共産党
川崎市議会議員(川崎区)

後藤まさみ

プロフィール

メッセージ

「保育園に入れず働き続けられない」「年金暮らしで家賃の支払いがきつい」「消費税10%は止めて」「戦争は絶対にダメ!9条を守って」「弱い者が安心して暮らせる町にして」—。まちを歩くと多くの方から切実な声が寄せられます。「うちにはお金がないから…」子どもの頃から夢をあきらめている。そんな思いを子どもたちにさせてよいのでしょうか。

働く人の息吹があふれ人情味豊かなまち、かわさき。いつまでもこのまちで一人一人が大切にされ健康で心豊かに暮らしていきたい。大切な税金の使い道をくらしや福祉・教育・医療・防災を優先する市政にきりかえていくことで、人間として当たり前の願いを実現する可能性が大きく広がります。

母子家庭で育った私は、様々な制度や社会的権利などに支えられて成長することができました。こうした権利を守り、さらに発展させ、これまでの経験をいかしながら、みなさんと力あわせ子どもから高齢者まで誰もが安心して住めるまちづくりに全力で取り組んでまいります。

日本共産党川崎区
福祉・くらし相談室長

後藤まさみ

プロフィール

1966年横浜市生まれ。法政女子高、法政大学社会学部卒業。中央労働金庫、神奈川県建設連合国保組合、党国会議員団秘書など勤務。労金労組専従書記、青年部、婦人部役員歴任。2019年市議会選挙で初当選。市議会総務委員会(総務企画局、財政局、経済労働局、臨海部国際戦略本部等)委員。 大都市税財政制度調査特別委員会委員。家族は母。川崎区東門前在住。趣味はフラダンス。

母子家庭に育つ

母藤まさみと母
後藤まさみと母

1966年横浜市生まれ。父が3歳の時に亡くなり母は在日コリアンの方が経営する飲食店の事務をして育ててくれました。学童保育がなく、同じ県営住宅に住む友達の家で母の帰りを待ちました。自分の意見をなかなか言えない引っ込み思案な性格でした。音楽が好きでピアノを習っていました。

法政女子高時代

吹奏楽部右から二人目が後藤まさみ
吹奏楽部右から二人目が後藤まさみ

「女性である前に人間であれ」という校風の下でのびのび過ごしました。「昭和の歴史」の授業で日本の侵略戦争の歴史を学び、広島の被爆者の方との出会いが生き方を決めるきっかけに…。吹奏楽部でアルトサックスを担当し仲間と一つの音楽を奏でる魅力に取りつかれ3年間部活動に明け暮れました。いまでもかけがえのない友人たちです。

法政大学時代

法政大学社会学部時代は八王子の山の中にある多摩キャンパスに通いました。のどかな環境の中で近現代史を学ぶサークルを立ち上げ友人と学びを深めながら学生自治会の民主化を進める活動に取り組みました。20歳の時に平和を守りたい、自分らしく主体的に生きたいと日本共産党に入党。奨学金を借りながら大学を卒業しました。

25年間、働きながら学んだこと

労働金庫の時代
労働金庫の時代

大学卒業後は「働く者の金融機関」—労働金庫に入庫。先輩方から厳しくも優しい指導を受けながら、社会人としての知識や常識を身につけました。青年部や婦人部では「年休を取ろう、生休をとろう」と仲間と職場環境改善に取り組み、また労組専従書記も務めました。39歳で県建設連合国保組合に転職。弱者を切り捨てる社会保障制度や組合員の多くが「生活できるまともな賃金」が支払われておらず後継者も減っている実態などを目の当たりにし、組合員の命や生活を守るためにも政治を変えなければという思いがますます強くなりました。

県議に初挑戦

ヘイトスピーチは許さない
ヘイトスピーチは許さない

2015年4月の統一地方選挙で県会に挑戦するも当選にいたらず。同年、はたの君枝衆議院議員の秘書に。弱い者いじめの政治に苦しむ市民のみなさんから、相談事を毎日のようにうかがいながら、悩みを抱えるみなさんに寄り添った仕事がしたいとの気持ちに突き動かされました。「ヘイトスピーチ解消法」制定、「就学援助金の前倒し支給」実現の質問準備に関わりながら、粘り強く追及していくこと、あきらめてはいけないことを学びました。

column

母がぬり絵を完成
母がぬり絵を完成

82歳の母が昨年大腿骨骨折をし手術。施設でお世話になっていました。回復し横浜の自宅に戻る準備をすすめています。母の体調や介護の心配は子ども世代も含めて他人ごとではありません。何歳になっても元気で生活ができる制度の充実が必要です。

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